2007年11月 6日 (火曜日)

ごぶさたといってはや数ヶ月

前回、ご無沙汰でしたなどといいながらあれ以来更新していませんでしたが、今日は書きます。
だって、今日は入社1周年なんです。

確か、前に書いたときは、デイケアを退所して、サポートしてくれた、Fさんがサポートから外れたときだったと記憶してます。(前のを見ればわかるだろ...そりゃそうだ)

で、1年何とか経過しました。ほおって置いても1年は経ちますけど、ここまで来られたのは、会社の皆さんだけでなく回りで支えてくれる人たちがいたおかげです。
仕事の紹介をしてくれたSさんや、Fさんに僕を紹介してくれたsakaさん、作業所の方々、デイケアの友人達などなど。
多くの人たちに感謝をしなくちゃいけません。

ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。

執念の1周年でありました。

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2007年5月 1日 (火曜日)

みなさま、ごぶさたしています。


昨年の7月が最後でしたか?
そうだったかもしれません。
あれから、実を言いますと、すごく自分の状況が変化しておりまして、少しばかり、ご説明しなくてはなりません。
順不同ですが、構成上お許しください。

まず、ブログについてあれこれと意見をつける施設より開放されました。
というか、期限が来て、退所したまでのことなんですが。
もう、見られてクレームを付けられても、それに応じるつもりはありません。
あれ以後、施設にはほとんど行かなくなりましたし、そうしているうちに、行く必要もなくなってしまったからです。
行く必要がなくなった....それはつまり、僕が就職したからなんです。
それも、不思議なことに、同時期に、会社の求人の話と、会社とのコーディネーションをしてくれる人が見つかったからです。そして、コーディネーションをしてくれた人が、入社することになった会社に以前勤務していた方だったのです。会社の元保健士の方で、大学院で、発達障害者の就労について研究されている方でした。
本来は、発達障害が原因で転職先を転々としている人のことについて調査し、卒論の研究に役立てるためでしたが、インターネット上で、会社とその方の関係を知り、当事者会Team-A にご招待したときにちょっとそのことを聞いてみたことがきっかけで、研究協力と引き換えのような形でコーディネーションをしてもらうことになったのでした。

でも、もう、それは昨年の11月ごろのことで、3月になって卒論が通り、卒業が決まると、会社へその方が来ることはなくなりました。
もう5月です。早いもので、そんな状況でサポートを受けながら働き始めて半年が経ちます。
会社のサポートも十分に受けられ、コーディネーションもいらなくなりました。
初めて請けた仕事も納期までに片付けることができ、次の長期に渡津仕事の予定もありますが、今はそれまでのつなぎの仕事をしています。

ごめんなさいね、いろいろ、重要なことも話さなくちゃいけないけれど、変なめまいがしてきたので、もう終わりにします。(これだから、発達障害者は困るんだ...)
支離滅裂だけど、またきちんと書きます。
とにかくブログに復帰したので、また気むいたら見てください。

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2006年7月28日 (金曜日)

作業所見学にいく

 今日は、デイケアでは恒例のバーベキュー大会だけど、僕は作業所見学にいくのだ。
 本当は、おばあちゃんが骨折して寝たきりになってしまったので、パン教室で公民館に行くお母さんの代わりに留守番する予定だったのだ。だけど、パン教室が中止になったので、作業所見学にいくことにしたのさ。

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2006年5月29日 (月曜日)

これが、ペットロスというものなのか...

 昨日は日曜日で、役所が休みだったし、僕自身もルナが亡くなった翌日ということで、とても疲れてしまって、一日横になっていた。
時々、ルナの遺体を見に廊下に行って、かたくなって動かないルナの寝顔を眺めたりしていた。
 僕自身は、何もかも納得してもう終わったものだと思っていたが、まだ、遺体の処置は済んでいなかった。
それでも、もう泣きつくしたと思って、人間って、こんなにも簡単に悲しみを忘れることができるのかな、と思った。

 今日は、月曜日。週が明けて、役所も業務を始める。
朝起きると、母から、『今日はルナの遺体を何とかしなくちゃいけないでしょ、昨日決めたことは取り掛からなくてはいけないのよ』と言われ、行動を始めようとしてた。
 金曜日に、デイケアを半日で上がってきたから、センターに電話をしなくちゃいけない。
しばらく休んでいて行ったデイケアだったから、連絡する必要がある。
 母に発破をかけられ、朝食を食べた後に部屋に言って電話をかけようとすると、どうしてなのか、めまいがする。
動悸がひどくなって、手に取った携帯の番号を押す気持ちがすっかりそがれてしまったのだ。
なんだか、電話をかけるのに気後れしてしまって、電話機を脇に置いて、横になる。
でも、それでは埒が明かないからと部屋から下の部屋に下りる。
 僕は、すっかり、頭の血の気が引いてしまって、ふらふらと階段を下りると、ばあちゃんのベッドの脇にごろりと横になった。貧血なら、足を上げておけば、貧血なんて治ってしまうかと思ったから。でも、貧血は収まらない。
それどころか、どういうわけか、自然と涙が出てきた。悲しくもないのに...。
 なかなか電話をかけない僕に痺れを切らして、母が不機嫌な声を上げる。言い訳をして、居間の電話で、センターに電話をかけた。
 スタッフのU さんが電話に出たので、要件を告げようと何とか言葉を発しようとしたが、どういう訳か、土曜日の出来事を説明しようとすると、言葉が詰まってしまい、用件がなかなか言えなかった。
 Uさんは、僕が狼狽して、言葉を発するのに窮しているのがわかったのか、戸惑いがちに話を終え、電話を切った。少し間をおいて、市役所の保健衛生課に電話をして、ルナの飼い犬登録の抹消をしてもらった。

 ...どうやら僕も、ペットロスというものになってしまったのか、と思った。
ペットロスとは、伴侶動物をなくした飼い主が、自分を責めたり、大切な存在を失った喪失感から、悲しみ嘆くことだそうだ。ごく当たり前なことだけれど、この悲しみから精神症状が出てしまうことがペットロスの怖いところだ。
まあ、一種のPTSDかうつ病のようなものだろう。

 市役所に電話した後、血圧を測ってもらい、貧血状態なら少しアルコールを飲んでみたらということで、オレンジジュースにオレンジリキュールを入れて飲んだ。すこしおちつくまで休むから、と断ってから、部屋まで這い上がって横になっていた。貧血は少しよくなったが、眠くなって転寝した。

 気が付いて、また下に下りると、母が、遺体の処理について問い合わせてくれていて、清掃センターに1時から4時までの間に持ってくるようにと言うことだった。本当なら、かわいいルナを清掃センターの焼却炉に入れたくはなかったけど、手術代にかなりのお金が出たし、死んでしまえば、ただの物体でしかないからという理由でそうすることにした。

 昼食を食べてから、最後のお別れ写真を撮り、段ボール箱を用意してルナを車に乗せた。
ルナの籠には、菊の花1輪と、ドライフード、好物だったバナナ、遊んでいたアザラシのぬいぐるみ、葬送のための手紙を添えておいた。
写真を撮る前、乾燥して、白くなっていた目から、車に乗せるとうっすら涙が出ていた。ルナが泣いている。そう思うと、思わずまた泣けてきてしまった。
 家を午後2時半ごろ出て、清掃センターまで行く。
焼却炉の前に車を止め、段ボール箱にタオルを敷き、ルナの体を寝かせた。持ってきた、花やおもちゃなどと一緒に入れ、ガムテープで封をして、外側に手紙を貼り付け、焼却炉の投入トレイの中にその箱を静かにおいて、清掃センターを後にした。中でできなかったお祈りを車の中でしていたら、またもや悲しくなってきた。

 家に帰ってきたら、なんだかすべて終わった感じがして、寂しかったけれど、落ち着いたような気もする。
それでも、まだまだルナのことはいろいろな思い出とともに脳裏を掠めるから、まだまだ悲しいときもあると思う。
 

 

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2006年5月27日 (土曜日)

ルナちゃん、ありがとう。安らかに...。

ありがとうルナちゃん。永遠に安らかに...。
Thanksluna

 別れは、突然にやってきました。
今朝は、紛れもなく生きていました。彼女は僕に甘え、僕のことを信じてくれていました。
今日、ルナが急逝しました。

ルナ - 2002年8月23日生まれ。この世に生を受けて、3年9ヶ月と4日、我が家に来て3年7ヶ月と10日目でした。まだ、残暑の残る2002年10月16日、彼女は茨城県から車に乗ってきました。青木さんという、理髪店の方のもとに生まれた、12匹のきょうだいの1匹でした。彼女は、迎えの車の中でも、ずっと寝ているほど落ち着いていました。人をこころから信用して、自分の境遇を悟っているかのようでした。

 このところ、彼女のお腹が、急に膨れてきて、それに連れて、背骨が強調されるようになって来ました。
何か病気だといけないから、病院に連れて行こう。そう思ったのはつい2日ほど前のことです。
Runa002
 そして、今日は土曜日だから、ということで、動物病院に連れて行くことに決め、朝から、お風呂に連れて行き、体を洗ってやりました。いつもなら、シャワーを嫌がって、逃げ回るのに、静かに体を洗わせて、時折、前足をぺろぺろと舐めていました。洗い終わると、風呂のふたの上に上がって、1度だけ身震いをし、脱衣所では、いつものように転げまわることもせず、マットの上に寝そべって拭いてもらうのを待っていました。
 
 母の運転で、動物病院に行き、問診表を書いて、順番を待ちました。
僕のひざの上で、ルナは、息遣いは荒くなっていたものの、落ち着いて抱かれていました。そのときのぬくもりを、今でも忘れることはできません。
 順番が来て、診察室に呼ばれると、先生に、とても辛いことを告げられました。
『この子は今心不全になっています。そして、その原因は、フィラリア虫が、心臓に落ち込んで、血流を阻害しているのです』、と。そして、手術で心臓の虫を除去するのは難しく、成功しても、この子の体力では持ちこたえられないかもしれない、ということもです。
 母を呼び、一緒に説明を聞いて、僕は呆然としました。
でも、もし、生きながらえることができるのならばと、一縷の望みをかけ、すべてを先生にお任せしました。
彼女は検査で、採血されてもちょっと鼻を鳴らしただけで、けして暴れたりせず、おとなしくしていました。
きっと、痛かっただろうし、苦しくて、声も上げたかったかもしれませんでしたが、治療に来ていたどの犬よりも我慢強く、恐れを感じさせない様子でした。

 家に帰る車の中には、一緒に来たはずの彼女はいません。
この家に、帰ってきて、この4年近くの間、ルナがいなかったことはありませんでした。
手術の結果を待つ僕はとても、心細く、友達にも彼女のことを祈ってもらうことにしました。
あとで、メールを見ると、何人からかお見舞いのメールを頂きました。
本当にありがとうございました。

今年4月 桜吹雪の中で。Springpink_1

 その後、泣き疲れて転寝をしていましたが、起きて行くと、母がO也を駅まで迎えに出掛けました。
そして、迎えに行っている間中、ルナのことを祈り続けていました。
 午後3時半ごろだったでしょうか、突然に電話が鳴りました。動物病院からでした。
先生から落胆の声が発せられました。ルナが亡くなったとのこと。
手術は、虫を心臓から除去することはできましたが、その後大量に出血し、体力も衰えていたため、心拍も落ちて、ついには亡くなったのでした。

 母が、O也を床屋において戻ってきたところで、ルナを引き取りに行ってもらいました。
病院では、できる限りの救命処置をして頂きましたが、その説明を丁寧に先生にしてもらいました。
そして、ルナが初めて家に来た日から、居場所になっていた緑色のかごに、バスタオルを引いて、その中にルナを寝かせました。
その姿は、まるで、気持ちよさそうに寝ているようでした。

駐車場にて                   廊下に寝そべるルナRuna003

Runa001

 O也を床屋に迎えに行き、家に帰ってきました。
ルナが小さい頃、よく遊んでいた廊下にかごを置いて、前にはろうそくを立てました。
パソコンのデスクトップはルナの寝顔の写真に変えて、在りし日を偲びました。
 O恵に電話をすると、義Oもお別れに来たいという返事。
8時を過ぎて、義Oが来ると、O也と一緒に泣きました。

 ルナちゃん。いや、ぶーちゃん。今まで、本当にありがとう。
僕が、自分の障害を知って今までの間、いつもそばにいて、僕を慰め、癒してくれましたね。
あなたは、僕にとって、かけがえのない友であり、娘であり、フィアンセでもあり、母性でした。
いつまでも泣いていたりすると、君にはいろいろと言われてしまいそうです。
『私がいるから、社会に出られないというのなら、私は去ります。でも、私は今までたくさんの愛と慈しみをもらいました。ありがとう。私はいつまでも、私を知る人の心の中に生きています。そして、いつの日か、神の国で会いましょう。』と。
 僕たちも、いつまでも、君を忘れません。
賢く、忠実で誰にでも優しかった君の姿を、与えてくれた愛を覚えています。
もう、充分悲しみました。
さあ、早く神さまのもとに走っていきなさい。

 いままでありがとう。お疲れ様でした。安らかに眠ってください。

 神様、ルナが寂しくないように見守ってください。
同じように、ルナを知る一人一人が、悲しみから解き放たれるように。
アーメン。 

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