2008年11月 6日 (木曜日)

ごあいさつ(入社してからはや2年)

<アメブロにも同じ記事があります>
サボりつづけで、申し訳ないです。
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朝、ラジオ体操が終わったあと、

総務に出向いた。

入社3年目を迎えたこと、

今までの感謝、

これからもサポートをお願いします、ということを言いに。


人事担当、つまり、ぼくの直の上司になるんだけど、

Hさんにまずはあいさつした。

その後、Oマネージャにもごあいさつと思ったら、

会議室で話しましょうという事になったよ。


普段、まったく関心のないような顔をしているOマネージャ。

でも、今日の話し合いで、誤解が解けました。

1ヶ月10000枚を提案された春。

日に換算すると500枚を目標に、頑張ってみた。

でも、仕事のクォリティーは最悪、

ぼくのメンタルもぐずぐずになっちゃった。

でも、それは、あくまでも、目標を何でもいいから持って、

成長してくださいという意味の言葉だったんだ。

言葉の真意が読み取れないから、こんな事になっちゃってさ、

なんだか損しちゃったよ。


でも、今日、その話を振ってみたら、

そういう風に説明して下さった。

やっぱり、アスペなんだ、ぼくは、

と思ったよ。

これで、心の中の不安や疑念はなくなった。

3年目が始まるけど、

まだまだ行けると思う事ができた。


コミュニケーションの大事さを思うね。

ボタンのかけ違いで仕事を辞めて来たに違いないぼくだから、

ちゃんと話をしなきゃ、と思ったし、

今日、それを肌で感じられた。

いい兆しが見えてきた。


人の期待も背負っているけど、

そんなこと抜きで、

今の仕事に頑張ってみようと、

改めて、決意した、今日の午前。

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2007年11月 6日 (火曜日)

ごぶさたといってはや数ヶ月

前回、ご無沙汰でしたなどといいながらあれ以来更新していませんでしたが、今日は書きます。
だって、今日は入社1周年なんです。

確か、前に書いたときは、デイケアを退所して、サポートしてくれた、Fさんがサポートから外れたときだったと記憶してます。(前のを見ればわかるだろ...そりゃそうだ)

で、1年何とか経過しました。ほおって置いても1年は経ちますけど、ここまで来られたのは、会社の皆さんだけでなく回りで支えてくれる人たちがいたおかげです。
仕事の紹介をしてくれたSさんや、Fさんに僕を紹介してくれたsakaさん、作業所の方々、デイケアの友人達などなど。
多くの人たちに感謝をしなくちゃいけません。

ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。

執念の1周年でありました。

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2007年5月 1日 (火曜日)

みなさま、ごぶさたしています。


昨年の7月が最後でしたか?
そうだったかもしれません。
あれから、実を言いますと、すごく自分の状況が変化しておりまして、少しばかり、ご説明しなくてはなりません。
順不同ですが、構成上お許しください。

まず、ブログについてあれこれと意見をつける施設より開放されました。
というか、期限が来て、退所したまでのことなんですが。
もう、見られてクレームを付けられても、それに応じるつもりはありません。
あれ以後、施設にはほとんど行かなくなりましたし、そうしているうちに、行く必要もなくなってしまったからです。
行く必要がなくなった....それはつまり、僕が就職したからなんです。
それも、不思議なことに、同時期に、会社の求人の話と、会社とのコーディネーションをしてくれる人が見つかったからです。そして、コーディネーションをしてくれた人が、入社することになった会社に以前勤務していた方だったのです。会社の元保健士の方で、大学院で、発達障害者の就労について研究されている方でした。
本来は、発達障害が原因で転職先を転々としている人のことについて調査し、卒論の研究に役立てるためでしたが、インターネット上で、会社とその方の関係を知り、当事者会Team-A にご招待したときにちょっとそのことを聞いてみたことがきっかけで、研究協力と引き換えのような形でコーディネーションをしてもらうことになったのでした。

でも、もう、それは昨年の11月ごろのことで、3月になって卒論が通り、卒業が決まると、会社へその方が来ることはなくなりました。
もう5月です。早いもので、そんな状況でサポートを受けながら働き始めて半年が経ちます。
会社のサポートも十分に受けられ、コーディネーションもいらなくなりました。
初めて請けた仕事も納期までに片付けることができ、次の長期に渡津仕事の予定もありますが、今はそれまでのつなぎの仕事をしています。

ごめんなさいね、いろいろ、重要なことも話さなくちゃいけないけれど、変なめまいがしてきたので、もう終わりにします。(これだから、発達障害者は困るんだ...)
支離滅裂だけど、またきちんと書きます。
とにかくブログに復帰したので、また気むいたら見てください。

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2006年7月28日 (金曜日)

作業所見学にいく

 今日は、デイケアでは恒例のバーベキュー大会だけど、僕は作業所見学にいくのだ。
 本当は、おばあちゃんが骨折して寝たきりになってしまったので、パン教室で公民館に行くお母さんの代わりに留守番する予定だったのだ。だけど、パン教室が中止になったので、作業所見学にいくことにしたのさ。

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2006年5月29日 (月曜日)

これが、ペットロスというものなのか...

 昨日は日曜日で、役所が休みだったし、僕自身もルナが亡くなった翌日ということで、とても疲れてしまって、一日横になっていた。
時々、ルナの遺体を見に廊下に行って、かたくなって動かないルナの寝顔を眺めたりしていた。
 僕自身は、何もかも納得してもう終わったものだと思っていたが、まだ、遺体の処置は済んでいなかった。
それでも、もう泣きつくしたと思って、人間って、こんなにも簡単に悲しみを忘れることができるのかな、と思った。

 今日は、月曜日。週が明けて、役所も業務を始める。
朝起きると、母から、『今日はルナの遺体を何とかしなくちゃいけないでしょ、昨日決めたことは取り掛からなくてはいけないのよ』と言われ、行動を始めようとしてた。
 金曜日に、デイケアを半日で上がってきたから、センターに電話をしなくちゃいけない。
しばらく休んでいて行ったデイケアだったから、連絡する必要がある。
 母に発破をかけられ、朝食を食べた後に部屋に言って電話をかけようとすると、どうしてなのか、めまいがする。
動悸がひどくなって、手に取った携帯の番号を押す気持ちがすっかりそがれてしまったのだ。
なんだか、電話をかけるのに気後れしてしまって、電話機を脇に置いて、横になる。
でも、それでは埒が明かないからと部屋から下の部屋に下りる。
 僕は、すっかり、頭の血の気が引いてしまって、ふらふらと階段を下りると、ばあちゃんのベッドの脇にごろりと横になった。貧血なら、足を上げておけば、貧血なんて治ってしまうかと思ったから。でも、貧血は収まらない。
それどころか、どういうわけか、自然と涙が出てきた。悲しくもないのに...。
 なかなか電話をかけない僕に痺れを切らして、母が不機嫌な声を上げる。言い訳をして、居間の電話で、センターに電話をかけた。
 スタッフのU さんが電話に出たので、要件を告げようと何とか言葉を発しようとしたが、どういう訳か、土曜日の出来事を説明しようとすると、言葉が詰まってしまい、用件がなかなか言えなかった。
 Uさんは、僕が狼狽して、言葉を発するのに窮しているのがわかったのか、戸惑いがちに話を終え、電話を切った。少し間をおいて、市役所の保健衛生課に電話をして、ルナの飼い犬登録の抹消をしてもらった。

 ...どうやら僕も、ペットロスというものになってしまったのか、と思った。
ペットロスとは、伴侶動物をなくした飼い主が、自分を責めたり、大切な存在を失った喪失感から、悲しみ嘆くことだそうだ。ごく当たり前なことだけれど、この悲しみから精神症状が出てしまうことがペットロスの怖いところだ。
まあ、一種のPTSDかうつ病のようなものだろう。

 市役所に電話した後、血圧を測ってもらい、貧血状態なら少しアルコールを飲んでみたらということで、オレンジジュースにオレンジリキュールを入れて飲んだ。すこしおちつくまで休むから、と断ってから、部屋まで這い上がって横になっていた。貧血は少しよくなったが、眠くなって転寝した。

 気が付いて、また下に下りると、母が、遺体の処理について問い合わせてくれていて、清掃センターに1時から4時までの間に持ってくるようにと言うことだった。本当なら、かわいいルナを清掃センターの焼却炉に入れたくはなかったけど、手術代にかなりのお金が出たし、死んでしまえば、ただの物体でしかないからという理由でそうすることにした。

 昼食を食べてから、最後のお別れ写真を撮り、段ボール箱を用意してルナを車に乗せた。
ルナの籠には、菊の花1輪と、ドライフード、好物だったバナナ、遊んでいたアザラシのぬいぐるみ、葬送のための手紙を添えておいた。
写真を撮る前、乾燥して、白くなっていた目から、車に乗せるとうっすら涙が出ていた。ルナが泣いている。そう思うと、思わずまた泣けてきてしまった。
 家を午後2時半ごろ出て、清掃センターまで行く。
焼却炉の前に車を止め、段ボール箱にタオルを敷き、ルナの体を寝かせた。持ってきた、花やおもちゃなどと一緒に入れ、ガムテープで封をして、外側に手紙を貼り付け、焼却炉の投入トレイの中にその箱を静かにおいて、清掃センターを後にした。中でできなかったお祈りを車の中でしていたら、またもや悲しくなってきた。

 家に帰ってきたら、なんだかすべて終わった感じがして、寂しかったけれど、落ち着いたような気もする。
それでも、まだまだルナのことはいろいろな思い出とともに脳裏を掠めるから、まだまだ悲しいときもあると思う。
 

 

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«ルナちゃん、ありがとう。安らかに...。